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題名:堆積のはじまりに 概要: 10年前,異世界とつながってしまった世界。世界中がその突然の出来事に戸惑う中,日本政府もまたその対応に追われていた。 騒動が収まり,法制度も整い始めたころ,とある県で司法修習生となった主人公は,刑事裁判修習においてとある部に配属される。“刑事第6部”――そこは異世界の住人が関わった刑事事件を専門に扱う刑事部であった。 日本が異世界の国々と締結した諸条約に由来する特別法により,異世界の住人が関わろうとも日本の刑法は全て適用される。それは司法試験合格者の常識であった。ロッケイに配点された1件の“殺人”事件を機に主人公はその常識を疑うようになる。 ロッケイに所属する裁判官たちとの交流,“殺されない”被害者との交流を通じて,裁判という,人知の記録の堆積。その始まりに主人公は直面する。
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題名:かけ橋 概要: 四方を山に囲まれ、かつて鉱山で栄えた神岡の町は些かの閉塞感とともに緩やかに衰退していた。夏休みの自由研究のために出掛けた少年は、町内を流れる川に架かる橋の上で一人の少女に出会う。少女と一緒に町内を歩いて回る内に、少年は少女のまとう雰囲気に不思議なものを感じ始める。
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3月末 総会日程調整、会計報告作成 4月中旬 招集通知・議案の発信 4月下旬 対案提示期間 4月下旬~5月17日 書面議決・委任の受付 5月18日 総会開催
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題名:四季の終わりに 概要: 夏の終わり、まだ蝉の鳴く頃に、女は二階建ての小さな家を訪ねる。女は栗色の髪に眼 鏡を掛けていて、いつも本ばかり読んでいる。 秋の終わり、紅葉の散る頃に、男は二階建ての小さな家を訪ねる。男は髪も肌も雪のよ うに白く、いつも炬燵で寝てばかりいる。 冬の終わり、梅の咲く頃に、女は二階建ての小さな家を訪ねる。女はコーラルレッドの 口紅を引いていて、いつも誰かに恋ばかりしている。 春の終わり、雨の降る頃に、男は二階建ての小さな家を訪ねる。男の肌は日に焼けて真 っ黒で、いつもスポーツばかりしている。 これは、四人の男女の物語。愛でもなく恋でもなく友でもなく、短い時をただ共に過ご すだけの二人の話。
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〈3〉進学実績飛躍的上昇の田園調布高校 創立60年を迎えた大田区に所在する都立田園調布高校。近年、飛躍的な進学実績の伸びをみせて注目を浴びています。 2011年は、東京大学に1名の合格者を出しました。昨年に引き続く東京大学への合格です。ほかに、東京外国語大などの難関国立大にも合格者を輩出しています。私立大学では、早慶上智に2桁の合格を出しました。いわゆるマーチと呼ばれる大学群の合格者数も過去最高です。 田園調布高校の大学進学実績や現役進学率は、同じレベルの私立高校と比較した場合、格段の差をつけています。 アドバンストクラスの設置で更なる躍進を目指す 「ぽろにあ祭」や、一昨年に新たに始まった合唱祭、大部分が加入する部活動など、盛んな特別活動で充実の毎日を送る田園調布高校生だからこそ、現役での志望大学合格は非常に重要。田園調布高校では、夏期や冬期、放課後、土曜日等の進学対策講習や補習、小論文指導、面接対策など、一人ひとりの非常にきめ細かな指導を実現しています。 田園調布高校の改革の目玉の一つが、「アドバンストクラス」と呼ばれる特進クラスの設置です。アドバンストクラスでは、通常授業でよりハイレベルな内容を扱うほか、通常授業後に「マルチ演習」という大学入試演習授業が必修です。 マルチ演習の内容は以下のようなものです。一部だけですが紹介します。 国語:私大入試問題(現代文) センター型問題演習(現代文) 古典文法の発展的内容 漢文の発展的内容 模試の過去問演習(現代文古文 漢文) 数学:私大入試問題 センター型問題演習(数Ⅰ&数A) 場合の数・確率の発展的問題演習模試等の過去問演習 英語:私大入試問題 センター型問題演習 模試の過去問演習 長文読解法等 マルチ演習授業では、個々の学力に応じてきめ細かな学習指導をおこないます。さらに、高校2年のときには勉強合宿も実施しています。 成績不振者は、補講の受講が必須となっています。「落ちこぼれ」をつくらないように、分かるまで指導します。また、学力差の開きやすい数学は、3段階ものレベル別授業なので、得意の人は発展的内容を扱う授業を、苦手な人は、基礎力重視の授業を受けることができます。 高い評判で塾からも支持集まる このような面倒見の良い学校を目指した校内改革が進んだ結果、田園調布高校の評判が高まっています。特に、近隣の塾からの評判が高まっているようです。 来年度は、いよいよアドバンストクラスの一期生が卒業します。田園調布高校の進学実績は、急上昇の一途をたどるでしょう。 田園調布高校をもっと知るためのページ 都立高校への道-都立田園調布高校 田園調布高校入試対策イチオシ問題集 田園調布高校入試対策問題集・参考書
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オンジェイン帝国 【名前】 ランザール・グロスコップ 【種族】 ハーフダークエルフ 【役職】 皇帝 【住んでる世界】 オンジェイン帝国 【能力】 攻撃が全て核爆発になる(通称アトミックパンチ) 【設定】 現オンジェイン帝国皇帝で政治家になる前は軍人 気功や魔術を織り交ぜた武術を編み出し気によってパンチなどが核爆発となる 現段階で確認されてる威力はツァーリ・ボンバーくらい 彼女自身は爆発や放射線でダメージ受けないどころか放射線や太陽光を吸収しエネルギーに変えられる 魔法学の自然エネルギーを魔力に変換しその魔力を栄養に変える捨て食の術の応用である。 帝国第三代皇帝で元帝国軍中将 【名前】 ユグドラシル・ロンドベル 【種族】 亜人 【役職】 帝国近衛兵 【住んでる世界】 オンジェイン帝国 【能力】 結晶龍 【設定】 帝国近衛兵の1人、龍に姿を変えられるため龍騎士の称号を与えられた。 その結晶はあらゆる刃と矢を弾き全てを喰らい尽くすと言われるほど ただし、火に弱い 【名前】 オルナ 【種族】 ハーフオーク 【役職】 元帝国陸軍大佐 【住んでる世界】 オンジェイン帝国 【能力】 怪力 【設定】 身長230cmの長身、元帝国陸軍大佐だが帝国軍の問題児と言われてた 【名前】 ミースカ 【種族】 人間 【役職】 A級冒険者 【住んでる世界】 オンジェイン帝国 【能力】 射撃と突撃 【設定】 オンジェイン帝国の冒険者で世界を旅してる 【名前】 ナルビ・モーレア 【種族】 ハーフ獣人(犬) 【役職】 民泊兼喫茶店のオーナー 【住んでる世界】 オンジェイン帝国 【能力】 ***** 【設定】 オンジェイン帝国の現皇帝ランザールとは帝国軍時代の同期、四武神の1人「超力の白虎」 【名前】 ラムリア・グルード 【種族】 グール 【役職】 民泊兼喫茶店のフロアマネージャー 【住んでる世界】 オンジェイン帝国 【能力】 グール特有の身体能力 【設定】 民泊兼喫茶店のフロアマネージャーでナルビの母親とは旧知の仲 【名前】 タンティノ・バイノ 【種族】 ハーフエルフ 【役職】 民泊兼喫茶店の店長 【住んでる世界】 オンジェイン帝国 【能力】 ハッキング 【設定】 元は西大陸のどこかの生まれみたいだが帝国に来て帰化した 【名前】 ライデット・マースナ 【種族】 人間 【役職】 食品会社社長 【住んでる世界】 オンジェイン帝国 【能力】 鑑定、毒無効 【設定】 オンジェイン帝国の食品会社の社長で食材求めて世界を巡る時もある 【名前】 ナデルコ・キタミ 【種族】 妖怪 【役職】 ギルド本部総裁(グランドマスター) 【住んでる世界】 オンジェイン帝国 【能力】 覇気マスター 【設定】 覇気の達人で冒険者ギルド本部の総裁である トップへ戻る
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「回るベランダ」 上垣渉監督作品 一人の無気力な男子学生が自宅のベランダに自らを閉め出し、出られなくなる。 電話で助けを求められた男は、女とともに「ベランダ」へと向かうが…。 日常に飽きた女は「ベランダ」の扉越しに何かを語りだす。 果たして「ベランダ」の扉は開くのか。果たして彼"ら"は出ることができるのか。 「つまらない毎日に変化を」「モラトリアムはまっぴらだ」そんなフレーズさえ、今や空虚な響きを残して日常の中に取り込まれた。 この映画は、そんな 終わらない日常 の連鎖の一端を描いたものである。 このぐるぐる回るベランダで、飽きることなく踊っていよう。
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キングとマルコム3 ~非暴力不服従~ 高重 歪彦監督作品 キングとマルコムシリーズ第三弾。詭弁を超え、電波となり、やがて雷撃へ。PG12指定 キングとマルコム~非暴力不服従 3ねん2くみ高しげ歪ひこ さつえいはらくがきみたいかんじでかんたんだったです。でもへんしゅうはむずかしい偏執でした。ぼくのともだちのにーちぇくんと、おかあさんはあそぶなというけど、いつもぼくにがんばるようにいいました。だから、ぼくはがんばいました。でもさいきんにーちぇくんとあまりあそばなくなりました。さびしいけど、にーちぇくんはいつもわるくちばっかりいっているので、すこしいやなときが、このごろふえていたので、もっとひとにはやさしくしようと思いました。そしてぼくはにーちぇくんのようにはならないと思いました。そしてにーちぇくんはただしいこともいうし、いつもぼくをわらわせてくれるし、しごともしないで、からだをきたえるはなしをしててうらやましいけど、いつもかれはつらそうだからです。みんなはかれのことをにーと君とあだなでよびます。ぼくはあとすこしで二十二さいになるといわれました。なんだかかなしいし、みんなはあそんでくれなくなる。でも、ぼくはぼくでにーちぇくんのようにはならないし、にーちぇくんはともだちなので、こんどふたりでうみにいきたいです。
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名言集1 (「小」選) 「芸術は束縛により生まれ、闘争により成長し、自由により死す」(アンドレ・ジッド) 「芸術は監督され、制限され、加工されることが多ければ多いほど自由になる」(イゴール・ストラヴィンスキー) 「今もっとも革命的な人々も、知らないうちに、おそらく一番古い伝統の人間となる」(ロマン・ロラン) 「批評家というのは、ハーレムに仕える宦官のようなものだ。どうするかは知っているし、毎日その実演も見ているが、自分じゃすることができない」(B.F.ビーアン) 「評論は気にするな。評論家の銅像などありはしない」(ジャン・シベリウス) 「芸術はなぐさみの遊びではない。それはものをかみつぶす歯車の機械だ」(ジャン・フランソワ・ミレー) 「正直私は自分を抽象画家だと思っているのです」(アンドリュー・ワイエス) 「私の作品を身近な風景を描いた描写主義だという人達がいる。私はそういう人達をその作品が描かれた場所へ案内することにしている。すると彼らは決まって失望する。彼らの想像していたような風景はどこにも存在しないからだ」(アンドリュー・ワイエス) 「この絵が、ニューヨークの近代美術館で目立つとは思いません。あなた方はもしかしたら通りすぎてしまうかもしれない。現代では何もかもが大げさに金切り声をあげているのですからね。現代の作家たちは真実を戯画化しているように私には思えるのだが、私にとって人生というものはもっとまじめなものなのです」(アンドリュー・ワイエス) 「私は、カメラと私が求めているリアリティを比べてみようなんて一度も考えてみたことがないんです」(アンドリュー・ワイエス) 「我々は一面的な存在ではなく、つねにその両方です。つまり、国家そしてテロリストです」(ゲルハルト・リヒター) 「ただ一つ重要なのは、作品が普遍性を持つこと、私という人間でなく作品自身を示すことです」(ゲルハルト・リヒター) 「絵をつくりあげること。それは動機と意図が重要でなくなり、最後にはまったく無意味になってしまうことです」(ゲルハルト・リヒター)
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絵は死んだのか? 現代アートはよく分からないといわれる。「ただ小難しいだけ」。僕もそう思う。 オシャレ気取りの奴が美術館で、筆をキャンバスに滑らせただけの絵の前で唸る。 描いてるほうも同じだ。絵を描く行為そのものに酔う。 資源の無駄遣い。無自覚なナルシシスト。 かといって印象派展。モネ?ルノワール?ゴッホ?もう十分。 僕だってモネもルノワールもゴッホも好きだ。でもモネが好きだと公言する奴は嫌いだ。 百年前からずっとモネ。少しは飽きないのだろうか。 美術館は美術館で、「どうせモネが一番無難だしスポンサーもつくから」みたいな理由があるんだろう。ポスターに大きく「モ、ネ、」。馬鹿の一つ覚えはいい加減にして欲しい。 こんな状態じゃもう絵は死んだと言われても仕方ないような気もする。僕だったら美術館に行くよりツタヤに行く。そのほうが楽しい。 でも困った。そうなると非常に困ったことになる。なぜなら僕は絵を描くのが好きだからだ。 もう死んだはずの絵を楽しんで描いている僕は無価値だろうか? 論理的に考えるとそうなる。じゃあそれを無視してこう考えよう。 美術館で絵を見るのは死んでる、自分が書いてる絵は死んでない。 でも、僕はなんとかして個人的な違和感を社会化したい。 だからこう考えることにしていた。 「今絵が死んでるように見えるのは美術館やらオシャレ雑誌やらがわけの分からない絵をもてはやしてるからだ。」 「じゃあ普通に良い絵を描けばいい。」 理屈なしに良い絵。良いから良い絵。滑らせるんじゃなくてねちっこく叩き付ける筆。それを目指してきた。 でも、今の画家を注意して見ると、そういう人は沢山いる。実は。最近ドイツの現代画がたくさん来日してるけど、普通にいい絵ばかり。リヒター、バゼリッツ、ポルケ。少し前にもう死んでしまったが、フランスにもバルチュスというすごい画家がいた。日本にも探せばきっといるはずだ。 でも、探さないといない。注意して見ていなければ存在すら分からない。探さなくてもその辺にいるのはモネ、ルノワール、セザンヌ、ミュシャ、あとは村上隆ぐらいだろうか。 それは考えてみれば無理もないことで。これだけ世の中に娯楽があふれていれば、わざわざまじめにシコシコ描いてる地味な画家の絵なんて見たいとは思わない。 写真、映画、音楽。僕は声を大にして主張したい。お前らずるいぜと! ある程度良ければ即大量生産、大量頒布。 それに引き換え、絵なんていくらいいものを描いてもせいぜい美術館に閉じ込められるか、もっと悪いとホコリを被ってどこかに積まれるか。 無いものねだりはこの辺にして。 でもだんだんわかってきたような気がする。 死んだのはたぶん、絵じゃなくてそれを取り巻く環境だ。 死んだのは美術館?その可能性は大いにある。 もう大方の美術館は、印象派展をやるか、アール・ヌーヴォー展をやるか、あとは奇抜な現代アート展をやるしかないくらい追い詰められている。別に美術館を責めてるわけじゃない。 画家という職業。これも共犯の可能性が大。若くて才能のある画家はどうやって世に出ればいいのか?美術館はもう「守り」だから助けてくれない。日展やら院展やらに媚売ったって耄碌した頃に三越に作品が飾られるのが関の山。あとは個人のキャラを生かしてメディアに出て、付加価値とやらをつけてごまかすか。 でも。でもやっぱり描いてしまうんだからしょうがない。描くのが楽しいんだからしょうがない。 描いてるときは憑きモノが降りてきて快感。描き終わって独りで眺めながら自己満足。人に見せて褒められてまたうれしい。身近な奴の絵がすごく良くて、悔しくなって、そのあとうれしくもなる。 きっと世にいる地味で売れない絵描きもそういう悦びを感じているんだろう。だから取り巻きの環境がいくら不利になっても絵を描く人間はいなくならない。 絵を描く人はずっと前からそこにいる。それは目を凝らさないと見えてこない。ある意味とても脆い。でもそれでいて頑固でしつこい。 絵は死んだのだろうか? 死んでない。 死んだのは美術館。絵を美術館で見る形態。絵を眺めて高尚ぶる形態。画家という職業。絵を買う金持ち。画家に絵を描かせる「文化的」な政府。メディアとしての絵画。公募展。「絵のある生活」。「現代アート」。「美術手帖」。 でも絵は死んでない。 (小)